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■金利調整法に基づく金利規制 戦後の日本においては、金利は必ずしも資金の需給関係を反映してこなかった。 その状況は金利の種類により、時代によりさまざまであったが、金利が資金の需給関係に応じて自由に動かなかった第1の原因は、政府や日本銀行がなんらかの政策的意図から金利の変動を規制してきたからである。 規制のうちには制度化されていたものもある。その代表的なものは戦後の臨時金利調整法に基づく金利規制である。こうした金利規制的なものを除去し、金利の変動を資金の需給関係にまかせ、金利の機能を十分に発揮させようとするのが金利の自由化である。 金利規制は金利を資金の需給関係により決まる高さよりも低く抑えることを目的として行われた。そういう政策を人為的低金利政策といっている。金利を低く抑える目的は1つではなかった。 昭和20年代から昭和30年代にかけて目立ったのは、銀行の貸出金利を低くすることで、そのおもな目的は川本企業の国際競争力を強化することであった。 そのために一般貸出金利の最高限度が引き下げられていった.同じ目的から公社債利回りや預金金利も低く抑えられた。昭和40年代には国債が発行されるようになったが、財政負担を軽減するには国債金利を低くしなければならず、そのためにも預金金利や公社債利回りを低く抑える必要があった。 戦後、大蔵省が行ってきた金融行政は、金融機関の倒産防止を最重要な課題としてきた。そのためには各種の競争制限措置−預金金利の規制もその一環−が必要であった。こうした脱落者をださないように誘導した保護行政は-護送船団方式」ともいわれた&預金金利の規制か長く続けられてきた大きな目的はここにあったということができよう。 昭和50年代以降になると、国債の大量発行、現先市場の発達等をおもな原因として、金利の規制は急速に後退せざるをえなくなった。 最後まで残ったのは預金金利の規制であるが、それも自由金利の譲渡性預金の創設に続いて大口定期預金の金利自由化、小口定期預金の自由化、さらに流動性預金の自由化と進み、平成6年10月以降預金については全面的な自由化をみるようになった。 | |||
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